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千葉氏とは、平安時代末期から室町時代にかけて、今の千葉市中央区あたりにあった千葉庄を拠点に、千葉県北西部を中心とする下総国を支配していた豪族です。
最盛期には千葉県中央部の上総国や九州、東北地方などにも所領を持っていました。
15世紀末期からは本拠地を今の酒々井町にあった本佐倉城に移し、戦国時代末期まで活躍しました。
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主な参考資料 |
請求記号 |
タイトルコード |
|---|---|---|
| 「千葉一族の歴史 全国に広がる系譜・史跡・伝承」鈴木 佐/編著 | C288.1 | 1000801979594 |
| 「千葉氏入門 Q&A」千葉市立郷土博物館/編 | C288.1 | 1000801813975 |
| 「千葉常胤とその子どもたち 千葉氏入門ブックレット 1」千葉氏顕彰会/編 | C288.1 | 1000801733208 |
| 「千葉一族入門事典 日本史を駆け抜けた月星の武士たち」千葉氏サミット実行委員会/編 | C288.1 | 1000801468231 |
| 「千葉氏とその一族の興亡 星の巻」府馬 清/著 | C288.1 | 1000010194329 |
| 「千葉氏とその一族の興亡 月の巻」府馬 清/著 | C288.1 | 1000010194360 |
| 「下総千葉氏の群像」 | C288.1 | 1000010194330 |
| 「千葉氏 将門から秀吉まで」千葉県博物館協会/編 | C288.1 | 1000010194348 |
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千葉氏に最盛期をもたらしたのは、大椎(おおじい)から千葉に居を構えた千葉常重の息子、 千葉常胤です。平安時代末期から鎌倉時代初頭に千葉氏を率いました。
平安時代末期は、平清盛を中心とする平家が政治の実権を握っていた時代でした。
常胤は、平家と敵対していた源義朝に協力したことなどから、平家方に所領を奪われて追い詰められていました。
常胤62歳の時に義朝の息子、源頼朝は、平家に対し挙兵をしましたが、敗れて房総に 逃れてきました。常胤は、いち早く頼朝の味方となって、所領の回復を狙って頼朝擁立に すべてを賭け、源平の合戦、鎌倉幕府の創設に大きく貢献しました。
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主な参考資料 |
請求記号 |
タイトルコード |
|---|---|---|
| 「千葉県を築いた人びと」千葉県教育研究会社会科教育部会/編 | C280 | 1000010685092 |
| 「房総人物伝 千葉ゆかりの先覚者たち」川村 優/著 | C280 | 1000800898080 |
| 「千葉常胤と13人の御家人たち 北関東編」千葉市立郷土博物館/編 | C288.1 | 1000802063893 |
| 「千葉常胤と13人の御家人たち 南関東編」千葉市立郷土博物館/編 | C288.1 | 1000802042129 |
| 「千葉常胤公ものがたり」千葉市総合政策局総合政策部政策調整課/編 | C288.1 | 1000801395629 |
| 「千葉常胤物語」平成28年度小学校中央区学校図書館指導員/制作 | C288.1 | 1000801623365 |
| 「千葉常胤 人物叢書 167 2版」福田 豊彦/著 | C288.1 | 1000010193552 |
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千葉常胤は7人の男子と3人の女子をもうけました。七男「日胤」という子が頼朝の祈祷師になり、以仁王の挙兵時に亡くなっています。七男の後継には養子を迎え、円城寺氏として再興されました。
それ以外の6人の息子たちのことを「千葉六党」といいます。
・千葉胤正 長男 千葉庄他。一族の調整役。常胤亡き後も千葉一族をまとめる。嫡嗣に与えられた千葉介を踏襲。
・相馬師常 次男 相馬御厨を所領にする。当時の相馬御厨は東葛地方から茨城県守谷市に至る広大な土地。
・武石胤盛 三男 武石インターチェンジ付近。子孫は下総武石氏と奥州武石氏で「亘理」と姓を変えた。
・大須賀胤信 四男 成田市周辺。武勇に秀でていたとされ、子孫も胤信に劣らず武勇に優れていた。
・国分胤通 五男 市川市(国分郷)。国分五郎と呼ばれる。源実朝まで三代の将軍に仕える。
・東 胤頼 六男 小見川、東庄、銚子。文武両道。美濃郡上に領地をもらった子孫東常縁が千葉宗家を立て直す。
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主な参考資料 |
請求記号 |
タイトルコード |
|---|---|---|
| 「郷土千葉の歴史」川名 登/編 | C201 | 1000010146179 |
| 「郷土の歴史千葉県 原始から21世紀へ」「郷土の歴史千葉県」編集委員会/編著 | C201 | 1000010688011 |
| 「わが町の歴史・千葉 わが町の歴史シリーズ」川村 優/編著 | C210.1 | 1000010146174 |
| 「千葉一族入門事典 日本史を駆け抜けた月星の武士たち」千葉氏サミット実行委員会/編 | C288.1 | 1000801468231 |
| 「千葉一族の歴史 全国に広がる系譜・史跡・伝承」鈴木 佐/編著 | C288.1 | 1000801979594 |
| 「千葉氏探訪 房総を駆け抜けた武士たち」鈴木 佐/編著 | C288.1 | 1000210057562 |
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| 江藤新平 | 明治初期に活躍した維新十傑。肥前千葉氏の流れをくみ、弘道館で尊王思想に傾倒する。 明治政府に入り初代司法卿となるが、佐賀の乱で首謀者として担がれ刑死する。 |
| 千葉周作 | 江戸後期の剣術家。北辰一刀流の開祖。神田お玉が池に玄武館を立ち上げる。 |
| 佐倉惣五郎 | 木内惣五郎。千葉氏家臣団の四天王、木内忠胤の系列。 堀田正信の重税に苦しんだ領民 のため、家綱に直訴し家族ともども死刑に。 |
| 新渡戸稲造 | 教育者であり思想家。「武士道」を表す。千葉常秀を祖とし、十二代信盛から新渡戸姓を 名乗る。 |
| その他に | 山内一豊の妻、塚原卜伝らが、千葉氏の子孫の中で有名。 |
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主な参考資料 |
請求記号 |
タイトルコード |
|---|---|---|
| 「郷土千葉の歴史」川名 登/編 | C201 | 1000010146179 |
| 「千葉一族の歴史 全国に広がる系譜・史跡・伝承」鈴木 佐/編著 | C288.1 | 1000801979594 |
| 「千葉一族入門事典 日本史を駆け抜けた月星の武士たち」千葉氏サミット実行委員会/編 | C288.1 | 1000801468231 |
| 「千葉氏探訪 房総を駆け抜けた武士たち」鈴木 佐/編著 | C288.1 | 1000210057562 |
| 「千葉氏研究 第3号」千葉氏研究会/編 | C288.1 | 1000010834615 |
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千葉常重が大椎から千葉に移動したのは、千葉常胤が9歳のころでした。
千葉常胤が歴史で名を知られたのは彼が63歳の時、1180年(治承4年)に伊豆で挙兵した源頼朝が、安房に逃げて再び兵を立ちあげたころです。
常胤は、頼朝に味方して、後に千葉六党と呼ばれる自分の息子たちと共に、九州から東北まで戦い、鎌倉幕府の成立に大いなる力を発揮しました。
千葉常胤は、この時代としては長く生き、82歳でなくなりました。
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主な参考資料 |
請求記号 |
タイトルコード |
|---|---|---|
| 「まんが千葉県の歴史 2 平安時代~鎌倉時代 」高橋 達央/作・画 | C201 | 1000110055986 |
| 「房総れきし絵本 Part1 古代から近世まで 」千葉相互銀行/編 | C201 | 1000800898080 |
| 「千葉県の歴史 史跡と人物でつづる」千葉県教育研究会社会科教育部会/編 | C201 | 1000010139842 |
| 「おはなし千葉の歴史 」千葉県歴史教育者協議会/編 | C201 | 1000800814454 |
| 「房総人物伝 千葉ゆかりの先覚者たち 」川村 優/著 | C280 | 1000800898080 |
| 「千葉常胤公ものがたり」千葉市総合政策局総合政策部政策調整課/編 | C288.1 | 1000801395629 |
| 「千葉常胤物語 」平成28年度小学校中央区学校図書館指導員/制作 | C288.1 | 1000801623365 |
その他の資料の所蔵については、カウンターでお尋ねください。
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